おさるのかあちゃん徒然日記

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おさる3号・・・食い意地はってます(*。*;)

おさる3号、1月5日で生後11ヶ月になりました。
最近になって、やっと・・・つかまりだちをし、ハイハイは結局、まだやんないけど、本人は努力しているみたいです。
伝い歩きも出来ないやつですが・・・歩く気だけは、満々でえす・・・。
私を見るや否や。。。手を持てと、常に催促・・・。両手を持ったが最後・・・やつは暴走します。
歩行器で鍛えた分、歩く気満々!楽しくってしょうがない感じです。かと言って、自分ひとりでは全く歩けないんだけどね・・・。
これに付き合わねばならないかあちゃん・・・体力無いからさあ・・・そう。。。もうそんなに、若くもないし・・・。あと3年で40歳だよ・・・。ぎょええええええええええええっ!!!お・そ・ろ・し・やあああああああああああああああ!!!!!大変です・・・。おさるたちの中で、3号が一番、手に負えなくなるかも・・・。

おさる3号、最近、すっごく、食い意地はっています。この間の朝食・・・・6枚切り食パンの1/2をフレンチトーストにしてあげ、これをペロリと平らげた。そして、その後に、バナナ1/2本も完食!その上、ベビーダノン1個も全て食べ、グリコ幼児用野菜ジュース125mlの半分も飲んでご馳走様!
これほど食べているのに・・・お昼前には・・・マンマァ~~~~~~~~~~~~と連呼・・・。
お昼は、実家にいたのでベビーフードを計160g平らげ、フォローアップミルクを200mlのみ干した。
そして・・・みんながおやつを食べているのをみると・・・物欲しそうに食べ物を見つめ・・・マンマッ!!!と連呼。

どうなってんだろうねえ・・・やつの胃袋は・・・。
でも、カウプ指数は16でした。おさる1号・2号は同じ月齢で20あったからねえ・・・。それを思えば、優秀なんだけど・・・。

見ていて気持ちいいほど食べる、おさる3号のう○こは、おさる1号のこぶし大ほど。
そんだけ食べりゃあ・・・でるよね・・・。ジャンボが!!!トイレに流す時に、詰らないか心配になるよ・・・。汚い話でごめんねえ・・・。

毎日、歩行器に入っては、おさる1号・2号を走って追っかけまわしているおさる3号でした!

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父が逝きました・・・。

みなさんご無沙汰しております。
今日で、2009年に入り2日目も終わろうとしています。
どんなお正月を過ごされていますか?

お正月早々、こんな重たいことを書くべきではないのだろうけど、やっと、少し生活も落ち着き、パソコンに向かうことが出来たので、書くことにしました。

今までずっと、ブログの更新が出来なかったのは、末期がんで自宅療養していた父が呼吸困難で救急車で運ばれ、病院の転院を余儀なくされ、実家や私、妹の自宅から近くにある、ゆういつ緩和ケアのある病院に転院することが出来、毎日、父に会いに行き、母の晩御飯を運んでいて、時間にゆとりが無かったから・・・。

でも、藤田保健衛生大学七栗サナトリウムに転院してからの父は、もしかしたら、癌が小さくなって、治っていくのではないか・・・と思うぐらい、体力的、精神的に少しずつ元気を取り戻していました。
と言っても、救急車で運ばれたときのことを思えばですが・・・。
今までは、シップタイプのモルヒネも効かず、痛みに耐え、毎日一睡も出来ず、衰弱し、80キロあった体重も50kgまで激減していきました。
転院してからは、以前入院していた病院と(ここも大学病院でしたが・・・三重県では有名なところです)医療に技術が違い(扱っている薬や栄養剤などいい物を使っています・・・金額も倍しますけどね・・・)日々苦しんでいて、悲壮な表情しかしていなかった父の顔から、笑顔が出てくるようになり、冗談まで飛ばすようになって、七栗サナトリウムの病室では穏やかに過ごせるようになっていました。

父の楽しみは、この病院は温泉病院で週に2回ヘルパーの人が手伝ってくれて希望の患者さんには温泉に入れてもらえること。
病床に入ってから、半年以上、身体を拭いてもらうだけの毎日。温泉好きの父にとってみれば、凄く幸せな時間でした。母の話では、目を輝かせ「ジャグジーに介護の入浴専用ベッドに寝たまま入れてもらって快適やった!凄いぞ!ジャグジーやぞっ!」と子供の様にはしゃいで母に話してくれたそうです。病室のベッドで寝たきりと違い、凄く精神的にも肉体的にもリラックスできる時間で父にとっても、それを嬉しそうに話してくれる父をみている私たち家族にとっても良かったと思います。

そして、父のもうひとつの楽しみは、おさるたちに毎日、100円玉をお小遣いにあげること。
これを貰うには、警察官だった父に仕込まれた敬礼をピシッ!と決めなくてはいけません。
まず、父がおさる1号・2号に「きょーつけ!礼!前習え!直れ!敬礼!直れ!」と号令をかけてから、100円のお小遣いをくれていました。

でも、ある日突然・・・父が亡くなる2日前ぐらいから、父の発声がおかしくなってきて・・・居眠りするようになって来ました。そして、2008年12月20日の朝に母から「お父さんの調子がおかしいから、みんな連れてすぐに来て!!!」と電話がありました。

病院に駆けつけてみると・・・荒々しい呼吸で、苦しそうな父。意識も朦朧としているのに、自分は息もできなくて凄く苦しいのに、周りのみんなを凄く気遣ってくれました。

言葉も出なくなってきた父は、必死に筆談で自分の意思を伝えようとしていましたが、書きなぐった字は、どれ1つ文字になっていなくて・・・それでも、必死に伝えようと書き続けていました。

そんな状態の父が、おさる1号・2号・妹の子供のなっちゃん・りんごちゃんが傍に行くと、必死に100円玉を手探りで探し・・・意識が朦朧としている中、いつもの号令を子供たちにかけあげてくれたそうです。私は、その時別の場所でおさる3号を見ていていませんでした。
妹と母は、そんな父を見ていていたたまれなかったそうです。

肺に膿みが溜まっていて、抜く処置をしてもらったら、父の呼吸が少し安定しました。
妹家族と私は、一旦自宅に戻り子供たちを寝かせてから再び、父のところに戻りました。
母に、今は安定しているから早朝に来るように言われ、0時を過ぎてから妹としぶしぶ自宅に帰りました。

でも・・・その約1時間後、再び、母から電話がかかってきて・・・「先生から、お父さん、1時間ももたんやろうから家族を呼んでくださいと言われたから、すぐ来て!!!」と電話がありました。
旦那とおさるたちみんなをたたき起こし、病院へ向かいました。

夜空には、真っ赤な色をした半月が出ていました。
病室に着いたとき・・・父は・・・もう息をしていませんでした。
看護婦さんに、身体をきれいに拭いてもらって湯灌してもらっていました。
2008年12月21日、1時40分・・・父は天国に逝ったそうです。
私たちが病院に着いたのが1時55分ぐらい。
母に電話をを貰ったのが、1時30分頃。
父は、最期、苦しまず眠るように息を引き取ったそうです。
父の最期を、母と父のお姉さんが看取ってくれました。大好きな、母とお姉さんに看取ってもらって父は幸せだったと想います。
妹も私も、父の最期には間に合わなかったのが・・・どうして、あの時、帰ってしまったのだろう・・・と心残りです。

でも、苦しまずに逝ったと言うのがせめてもの救いです。

最後の最後まで、私たち家族のこと、周りのみんなのことを気遣いながら逝った父。
死との恐怖におびえながらも、最後まで生きることを諦めなかった父。
そんな人が私の父でよかったです。
そんな父の尊敬できるところは、おさるたちにも受け継いで貰いたいです。

天国に行った、お父さん、最後の最後まで心配をかけてごめんなさい。
一人ぽっちになったお母さんのことは、妹家族と私たちみんなで協力し合って支えていきます。だから、心配しないでください。

64歳と言う年齢で逝ってしまったお父さん。
おさるたちに自分の知っていることを、たくさん教えてあげたかった・・・と言っていたお父さん。
やりたいことがたくさんあっただろう・・・。
お父さんの頑張りは、おさるたちが良く解かっていると思います。ちゃんと、おさるたちは、お父さんから人として大事なことを今回、学んでいるよ。
来世でも、お父さんの人生が素敵な人生でありますように・・・。

父のことを気にかけてくださっていたみなさん、今までありがとうございました。父は、七栗サナトリウムに転院してからの日々、父は自分を支えてくださる方々に涙・涙・涙だと感謝していました。

七栗サナトリウムのみなさん、本当に父がお世話になりました。

そして、今、さまざまな病気と戦っているみなさん・・・父は、病気には負けてしまいましたが、最後の最後まで、自分にだけは負けませんでした。

だから、みなさんも、病気に負けてしまうことがあるかもしれません。病気に勝てるかもしれません。いかなる時も、自分にだけは負けないでくださいね!

今年もみなさんにとって素敵な一年でありますように・・・。

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